クロガネ・ジェネシス
感想はこちらにお願いします→雑談掲示板
第ニ章 アルテノス蹂 躙
第１７話
それぞれのその後
「それにしても、よくもまあここまでやったもんだねぇ……」
人間そっくりの人形に囲まれた部屋。あまり生きた心地のしないその空間で、レットスティールは壊れた左腕の義手をいじりながら言った。
「そんなにボロボロになってるのか？」
左腕がない少年、鉄零児《くろがねれいじ》はレットスティールに問う。零児が一時的に使っていた左腕の義手。２人が話しているのはその義手についてだった。
零児が黒い竜《ドラゴン》の亜人に使った魔術、明星爆砕破《みょうじょうばくさいは》は零児が思っている以上に義手にダメージを与えていた。
「見た目だけで言えば損傷は少ない。が、問題は内部の方だ。特に、骨と神経がほとんどイカレてる。骨はヒビだらけになってるし、脳の命令を伝達する神経もズタズタになってる」
「これ以上の強度を上げることは？」
「不可能だ。これ以上強度を上げるならアダマンガラスにでも行って、何らかの特殊な鉱石でも使うしかない。だが私はそんなもの知らない。私が知り得る知識の中で、これ以上の強度を誇る義手を作ることは不可能だ」
「ってことは……」
「あんたが使った例の魔術。あれは、左腕の義手そのものと引き替えに使うべき魔術だね。基本使わない方がいい」
「……」
零児は渋い顔で逡巡する。明星爆砕破は零児の切り札的魔術として考えていたものだ。しかし、文字通りいざというときのための切り札としてしか使えないことが分かったわけだ。
――別の魔術を考えた方が良さそうだな……。
苦労して手に入れた義手を、たった１発の魔術を使っただけで失うのは割に合わない。
「どうする？ あんたはあたしに義手を作らせるために、果たすべきことをした。だからあたしは可能な限りあんたの要望を叶えた義手を作った。しかし、これで納得いかないなら、別の人形師にでも頼むしかない」
「いや、レットさん程の人形師は他にいないだろうから、お願いするよ。無い物ねだりしても仕方ないしな」
「お世辞でも嬉しいよ。じゃあ、明日また来な。それまでに義手接合手術の準備をしておく。時間は何時がいい？」
「その前に、その手術はどれくらいかかる？」
「１時間くらいで終わる。難しい手術じゃないからね」
零児は少し考えて答えを出した。
「午前１０時ってのは大丈夫ですか？」
「午前１０時だね？ 分かった。その時間までにまた来な。待ってるよ」
その日の午後。零児とアマロリットはグリネイド家の屋敷にいた。さほど広くもない食堂代わりの大きな寝室。
外は晴れており、暖かな日差しが入り込んでいる。赤いじゅうたんが敷かれたその部屋は、いかもに貴族らしさを演出している。しかしながら、白１色に染められた壁はシンプル極まりなく、そのアンバランスさが、控えめな印象を見る者に与えている。
アマロリットは紅茶を飲みながら、対面にいる零児に語りかける。
「そう。じゃあ、あんたもあたし達と共に人間と亜人の共存のために、力を貸してくれるのね？」
「ああ。俺はそのためにここに来たんだ」
数分前。零児は自分の目的を果たすために、自分が今までどのような理由で、何の目的を持ってここに来たのか。それをアマロリットに話したのだ。
それは人間と亜人が共存できる環境を作る。その手助けをするということだ。零児の目的は人間と亜人の軋轢《あつれき》をなくすこと。
零児よりも早くそれに取り組んでいるグリネイド家の２人や、彼女達と共にある３人の亜人。彼らに協力することが、その第一歩になると思い、零児はアマロリットにその話を持ちかけたのだ。
「どうだろう？ 俺もアマロさんや、アルトさんと共に、活動して、亜人と人間が互いに手を取り合って生きていける。そんな環境を作りたいと思う。俺に、その手伝いをさせてほしいんだ」
「どうだろうも何も。大歓迎よ。あんたみたいな強い男なら、なおさらね。だけど……」
アマロリットはそこで１度言葉を区切る。そして、真顔で零児の表情を見つめながら、その先を紡《つむ》いだ。
「平坦な道じゃないし、辛い目にあうことも決して少なくはないと思うわ。命がけで戦うことだってあるかもしれない。その覚悟はできてる？」
「無論だ。俺は命どころか、人間と亜人の共存の道に、人生をかけるつもりでいる」
アマロリットの真顔の語りに、零児もまた真顔で応える。その表情を見て、今度は柔和な笑みを浮かべた。
「そう。安心したわ。あたしは結構人使い荒いから、その辺も一応、覚悟しておいてね？」
冗談じみた言い方だった。零児もまた表情をほころばせた。
「ああ、覚悟しておこう」
「でも、私達の活動を始める前に、まずは竜騎士《ドラゴン・ナイト》の称号を得ることを考えなさい。アルテノス武大会で優勝しておきながら竜騎士《ドラゴン・ナイト》への道を蹴ったら、今まで戦ってきた大会参加者が可哀想だしね。それに竜騎士《ドラゴン・ナイト》になったら色々と行動できることが増えるわ」
今後の目標。それは竜騎士《ドラゴン・ナイト》の称号を得ること。零児は武大会の優勝によって、竜騎士《ドラゴン・ナイト》のカリキュラムを最短で受けれる権利を得た。つまり、他の竜騎士《ドラゴン・ナイト》候補生よりも早くその称号を得られるわけだ。
「わかった。そうしよう」
零児はそれらを理解した上で、首を縦に振った。
同じ頃、グリネイド家の屋敷。その台所で、一定のリズムを刻みながら、まな板を叩く音が聞こえてくる。やや遅めの昼食を作っているその人物はアーネスカ・グリネイドその人だった。自宅のためか、白のヘソ出しシャツに太股が露わになった短いジーンズを履いていて、その上にエプロンを装備している。
彼女が昼食に使う野菜を刻んでいる傍《かたわ》ら、鍋に様子を見ている人物は彼女の姉、アルトネール・グリネイドだ。白のワンピース姿が、流麗な金髪によく栄えている。彼女もまたエプロンを装備している。
普段なら調理はグリネイド家に仕える執事、ベンの仕事だ。しかし、今日は別だった。アルトネールが自ら調理場に立つといい、アーネスカは彼女につれられて一緒に料理をしているのだ。
彼女達にとってこの作業は、ただ単に美味しい料理を作る以上の意味がある。アーネスカがレジーに復讐を誓い、グリネイド家を飛び出してから１２年。アーネスカと、グリネイド家２人の間にはそれだけ長い時間の空白ができた。
これは姉妹であるアルトネールと、アーネスカの２人が、絆を取り戻すための儀式なのだ。
「アーネスカ。野菜の方は切り終わった？」
「もう少しで終わるわ。スープの方はどう？」
「もうしばらくはかかるわね。焦げ付かないように注意しないと……」
何気ない姉妹の会話。しかし、この２人にとっては１２年ぶりの会話だ。アーネスカは両親が殺される前、姉妹３人で仲良く暮らしていた頃を思い出す。
幼い頃、アルトネールは三女であるアーネスカや、二女のアマロリットに比べて病弱な少女だった。それが原因で、アルトネールが苛められることも少なくはなかった。そのたびに、アーネスカとアマロリットはアルトネールの盾となり、守っていた。
貴族である３姉妹は自分達の身分を周りにひけらかすことはなかった。むしろ、人の上に立つ者である以上、強くあらねばならないと言う考えを抱いていた。
アルトネールは１人の魔術師として、アーネスカは戦士として、アマロリットは竜《ドラゴン》使いとして。
アーネスカが覚えているのはそこまでだ。
３人がそれぞれ強くあらねばとそれぞれの道を志して間もない頃、亜人としての姿でレジーが現れた。アーネスカは子供心に両親を守らねばならないと戦いを挑んだ。
結果は無惨なものだった。両親は為すすべもなく殺され、アーネスカはレジーを前に怯《おび》えていることしかできなかった。
だからアーネスカ達３姉妹も本来なら殺されるかもしれなかったのだ。彼女達を救ったのは、長年グリネイド家に仕えていた執事、ベンとメイドであるリーズの２人だった。
結果彼女達は救われた。そしてアーネスカは両親の仇を討つため、復讐の炎を燃やし、グリネイド家をでていった。それが１２年前だ。
その間、２人の姉がどうしているのか、アーネスカの知る由もなかったが、まさか亜人と人間の共存のためにアルテノスで活動しているとは思わなかった。
「アーネスカ……」
アルトネールは鍋をかき混ぜる腕を休めることなく話しかける。
「ん？ なに？」
「もう、１人で抱え込んだりのはやめなさいね？」
アーネスカは包丁を動かす手を止める。
「姉さん……」
「今日再会してわかったわ。あなたはあの頃からあまり変わっていない。時として猪突猛進で、周りが見えなくなることがある」
「頭に血が上ってるときは……そりゃね……」
アルトネールはレジーとアーネスカが対峙したときのことを言っているのだろう。あの時アーネスカはレジーと対決することを望んだ。両親の仇を討つために。
アーネスカはエプロンを翻《ひるがえ》し、アルトネールに向き直る。
「大丈夫よ、姉さん」
「アーネスカ？」
アルトネールもまた鍋をかき混ぜる手を休めてアーネスカを見る。アーネスカは彼女の瞳を見つめながら続ける。
「あたしの……復讐は、もう終わったわ。これからはアルト姉さんやアマロ姉さんと３人で暮らしていけたらと思う。２人が作ろうとしている、人間と亜人が手を取り合える未来のためにも」
「ありがとう、アーネスカ。じゃあ、一緒にがんばりましょうね」
「ええ！」
２人は再び料理に集中し始めた。こんな他愛もない日々が続くことを心から願って。
グリネイド家の屋敷は上から見ると長方形の形をしている。その内側には外からは進入することのできない中庭がある。中庭の中心には噴水があり、その周囲を無数の草花が覆っている。心休めるのに、これ以上の空間はないだろう。
アーネスカとアルトネールが調理をしている最中、その一角に１人の男がいた。
天然パーマをアフロにして、小さな丸メガネをかけた細身で長身の男。彼の名はギン。彼は右手で腕立て伏せをしていた。ノルマは５０回。１日のうちに５セットはやっている。もちろん左手でも。
己《おのれ》を常に鍛え、いつでも戦える肉体を作ること。この腕立て伏せもその一環であり、ギンの日課だった。
――情けねぇ……。
ギンは自分を不甲斐なく思っていた。レジーとの戦いでは惨敗し、アルトネールをさらわれ、リベアルタワーではバゼルとネルに助けられただけだった。
もっと強さが欲しい。誰にも負けない強さが。全てはグリネイド家のため。さらに言えばアマロリットのため。
もう負けたくはない。そういう思いが、ギンの心で渦巻いていた。練習メニューを増やすことも検討に入れていたくらいだ。
「以外に努力家なんだね」
「あん？」
右手を立てて体重を支えたまま、ギンは自分の真横に立っている１人の女を横目で一瞥《いちべつ》する。
そこに立っていたのはネレス・アンジビアンだった。黒のノースリーブとカットジーンズという活発な服装だ。彼女の横には、猫の亜人ユウもいる。側頭部から生えた猫耳と、ピンク色のチャイナドレスのため、かなり目立つ格好だ。
「何の用だ？」
「いや〜特に用があったわけでもないんだけどさ……」
ネルは腕組みをして、朗らかに笑う。中庭に入ったら偶然ギンを発見した。ただそれだけのことのようだ。
「ねぇギン」
「なんだ？」
ギンはユウの言葉に耳を傾けながら腕立て伏せを再会する。
「ネルさんは、人間だけど、魔術を使うことによって、魔術を使わない私達以上に強い力を身につけてるのよ」
「ほう？ で、それと俺とどういう関係がある？」
「私はこれからネルさんに少しばかり魔術を習おうと思う。ギンも一緒にやらない」
「魔術……か。俺は今まで魔術の勉強なんかしたことないぜ？ 俺にもできんのか？」
「そりゃ、最初からは無理だろうけどさ。地道に学んで、確実に強くなることはできるんじゃない？」
「……ふぅん」
ギンは右手を使っての腕立て伏せをやめて、立ち上がる。
「なかなかおもしろそうだな。そういうことなら指南してもらおうじゃねぇか」
「そう。それじゃあ、まずは魔術を使うために必要なものを買いに行かなきゃね」
ネルはそう言って微笑んだ。
「何か必要な物があるのか？ 言っとくが俺は、アルトネールみたいに、魔術師の杖を使ったタイプの魔術はほとんど使ったことないぞ？ 自慢じゃないが、俺は頭悪い方だしな」
「難しいことはないよ。１度覚えればすぐに使えるようになるからさ」
「ま、いいがな。とりあえずは教えてもらおうじゃねぇか」
「そのつもりだよ。でもその前に食事にしないとね」
アーネスカとアルトネールが昼食の準備をしていることはグリネイド家の屋敷にいる人間全員が理解していることだ。ネルとユウはギンを昼食に誘うことを目的にギンの元を訪れたのだ。
「そうだね！ まずは腹ごしらえだよね」
アルトネールの作る食事に思いを馳せながら、ユウはそういった。
それからしばらくして、アーネスカとアルトネールが作った料理が、食堂代わりに使われている寝室に運ばれてくる。
そこは先ほど零児とアマロリットが話していた部屋だった。零児とアマロリットの他には、すでに２人の人物が席に着いていた。
肩と二の腕、太股から下が露出している服は、全身白と薄いスミレ色で統一されている。そんな服装をしているのは火乃木だった。エルノクにやってくる前に、アーネスカにコーディネートしてもらった火乃木のお気に入りの服装だった。
彼女と共にテーブルについているのはシャロンだった。白で統一された火乃木に対抗してか、その服装は黒のワンピースだった。だからといって地味というわけではない。体のラインはしっかりと出ており、側頭部で２つに分けて縛ったおさげは頬のラインを引っ張り、派手さを与えている。また、銀色の髪の毛が黒のワンピースによく栄えている。黒の髪の毛と白の服装で魅せている火乃木とは対照的だった。
そこに、ユウ、ギン、ネルの３人もやってきて席に座る。
「あれ？ バゼルは？」
料理をテーブルの中心に置き、盛りつけをしようとしたところでアーネスカがバゼルの不在に気づく。
「バゼルは今外に出てるわ。彼、朝食と夕食しか食べないのよ」
アルトネールはそう説明し、バゼルは日中アルテノス内をパトロールして回っていることを告げた。
「そうなんだ……」
アーネスカはそう一言だけ述べ、テーブルに皿を置いていき、出来立てのスープをお玉ですくって注いでいく。
「へ〜。ポタージュスープか？」
スープの色はやや白っぽい黄色だった。その色合いからポタージュスープであることは用意に想像できる。
アーネスカが自信満々に胸を張る。
「そうよ。アルト姉さんが作った自慢の一品よ」
「なんでお前が偉そうなんだ？」
そんなアーネスカを見て零児が突っ込みを入れる。
「スンスン……」
火乃木がポタージュスープの香りに反応する。
「おいしそうな匂い……」
「そんな、みなさんそんなに褒めないでくださいよ」
アルトネールはやや恥ずかしそうに抗議する。あまり褒められることに慣れていないのかもしれない。
「こっちはサラダよ。あとパン」
次にアーネスカは、いくつものバターロールが入ったバケットと、生野菜サラダを取り出した。
「パンはベンさんとリーズさんが、野菜はあたしが切ったわ」
またもアーネスカが胸を張る。
「お前は野菜を切っただけか……」
「いちいち細かい男ね……。だから背、伸びないんじゃないの？」
「背は関係ねぇだろ！」
「ハン！ どうだか！」
「表で一戦交えるか？」
「上等じゃない！ やるっての!?」
「やめなさいよあんた達食事時に！」
徐々にヒートアップしてくる零児とアーネスカの口ゲンカに、アマロリットが待ったをかける。
「そうよ！ 食事時にケンカなんて、マナーがなってないわ！」
「アルト姉さん……マナーがどうこういう以前の問題なんだけど……」
――この人実は天然？
零児はアマロリットとアルトネールのやりとりを見て、アルトネールが天然ではないかと思った。
それから数分して、各々の食べ物の盛りつけが終わり食事が始まった。
零児と火乃木は真っ先にアルトネールが作ったというポタージュスープに手をつける。
「む!?」
「うわっ！」
その途端、２人は驚愕した。
「う、美味い……！」
「こんなポタージュスープ飲んだことない！」
「そんなにおいしいの？」
ネルが２人の驚き様に興味を覚え、自分もアルトネールのポタージュスープをスプーンですくって口に運ぶ。
「た、確かにおいしい！」
アーネスカもスープを口に運ぶ。
「流石私の姉さんだわ！」
「だからなんでお前はそう偉そうなんだよ！」
「うるさい！」
「よかったわぁ……久しぶりに腕を振るった甲斐があったという物よ」
アルトネールはそんな彼らのやりとりを見て、心から満足したようだった。
徐々に食事は賑やかになっていく、ユウやギン、シャロンもアルトネールのスープやサラダ、バターロールに舌鼓を打つ。
やがて食事は終わり、片付けが始まる。片付けは全員一丸となって行われた。もちろん全員、善意からくる行いだ。そんな最中、食器を洗っている火乃木は、同じくスープが入っていた鍋を洗っているアルトネールに話しかけた。
「アルトネールさん」
「なあに？ 火乃木ちゃん？」
アルトネールは笑顔で答える。母性を感じるその微笑みに、火乃木は大人の女性の魅力を感じながらさらに続ける。
「ボ、ボクに料理を教えてもらえませんか？」
「あら、どうして？」
アルトネールは少し驚いた様子を見せ、すぐに笑顔に戻って続ける。
「アルトネールさんが作ったポタージュスープ……すごいおいしかった。ボクもあんなおいしい料理が作れるようになりたいんです！」
アルトネールは火乃木の瞳を見つめる。少し思案してから、にっこりと笑い答えた。
「わかったわ。教えてあげる」
「本当ですか!?」
「ええ。恋する乙女の手助けなら喜んでするわ」
言われて火乃木が赤面する。どうやら彼女の思いは、アルトネールに筒抜けのようだ。
「私も……」
そこに、火乃木と共に食器を洗っていたシャロンも顔を覗かせる。
「私も……教えて欲しいです」
「ま、マネしないでよ！」
火乃木がそれに抗議する。
「まあまあ、私は恋する乙女全員の味方よ。火乃木ちゃんだけ贔屓《ひいき》にするわけにはいかないわ」
「そ、そんな〜」
がっくりと肩を落とす火乃木。どうやらシャロンと自分との間に料理面で実力を開かせたいと思っていたのだろう。
「私……火乃木には負けない！」
「う〜わかった！ 望むところだよ！」
「はいはい。元気なのはいいけど、まずは後片付けが先よ」
「は〜い」
３人はそそくさと後片付けを再会した。
その頃。
バゼルは１人アルテノスの町を歩いていた。
彼の姿は亜人の中でも特に目立つ。顔の形が完全に狼の形をしており、体格も並の亜人とは比べ物にならないほどに大きいからだ。
しかし、この体の大きさ自体が犯罪の抑止力になっているのも事実だ。彼はただ歩いているだけで犯罪を未然に防ぐことに貢献している。それは彼自身わかっていることだし、町の人間や亜人も承知している。
そんな時だった。
彼の前方数メートル先から、一組の親子が歩いてくる。３段のカラフルなアイスクリームが乗ったコーンを持ってはしゃいでる女の子とその父親らしき男性の２人だ。
「あぅ！」
その女の子がバゼルの太い足にぶつかった。その拍子に、女の子が持っていたアイスクリームがコーンから飛び、バゼルの足首に全てぶつかってしまう。
冷たい感触がバゼルの足に広がる。
「あ、ああ……アイス……」
女の子が自分がぶつかった巨躯の亜人を見上げ涙目になる。何か言いたいのだろうが強面のバゼル相手では体が竦《すく》みあがってしまっているのだろう。
彼女の父親もバゼルを見て足をふるわせた。
「す、すみません！ すみませんすみません！」
父親は亜人であるバゼルからなにをされるかわからず、恐れを抱き、必死に頭を下げる。
いくら人間と亜人が共存できる環境が整いつつあるとはいえ、バゼルほどの巨体を持つ亜人はまだ人間には受け入れがたいのだろう。ただ、単に強面であるがために必死に謝っているだけの可能性もあるが。
バゼルはゆっくりと女の子と視線をあわせるべく、屈み込んでいく。
「ごめんなさいごめんなさい！ 許してください！ む、娘だけは……！」
なおも必死に父親は謝る。が、バゼルに危害を加えるつもりなど毛頭なかった。
バゼルは女の子と同じ目線まで体を屈めると首から下げた財布から金貨を１枚取り出した。
「すまないな……。俺の足がアイスをだめにしてしまった。次はこれで５段のアイスでも買うといい……」
そういってバゼルは女の子に金貨を１枚渡した。そして女の子の頭に手を乗せて軽く撫でると、立ち上がった。
「自分の娘の様子くらいはもう少ししっかり見ていた方がいいぞ。じゃあな……」
そういってバゼルは親子２人とすれ違い、歩いていった。
「あ、ありがとうございます……」
父親は拍子抜けして逆にバゼルに礼を言った。
「ありがとう！ 亜人のおじちゃん！」
女の子もすっかり泣き止んでバゼルに礼を言った。
バゼルは左手を挙げてそれに応えた。
「親子……か」
それから数時間の間、歩き回り、アルテノスの町をパトロールした。そして、気がつけばバゼルは港にいた。
夕焼けが眩《まぶ》しい。人が忙しそうに動き回る港で、彼はただ地平線の向こうに沈もうとしている太陽を眺めていた。
彼が考えていたのは昼間見た親子だった。
――俺は……。
かつての自分を思い出す。
彼は生まれつき他の亜人と違っていた。体格は他の亜人と比べても大きく、身体能力もずば抜けて高かった。
彼にとって、亜人の母による人間抹殺の意志など何の興味もないことだった。アルトネールと出会う前の彼にとって、重要なことは自分が強者であるということだった。
弱肉強食の精神こそが自然のあるべき姿であると考え、人間、亜人に関わらず勝負を仕掛け、勝者という立場を守り続けた。
そんな彼に敗北をもたらした人物がいる。それが魔術師として大成していたアルトネール・グリネイドだった。
降りしきる雨の中、戦う力を消耗し、アルトネールに自らの生死の運命が握られている状況。バゼルはそのときのアルトネールとの会話を思い出していた。
『なぜ俺を殺さない？ お前は勝者だ。俺の命を奪うのが筋というもののはずだ……』
『私《わたくし》は命を奪うために、魔術師を志したわけではありません。あなたを倒したのも、振り払う火の粉を自分で振り払ったに過ぎません』
『この世に生きるものは皆孤独だ。強者は弱者に食われて終わる。それが世の中の摂理だ』
『私《わたくし》は、そうは思いません。強者に弱者が虐げられるだけの殺伐とした世界など、それこそなんの意味もない世界です』
『なんだと？』
『私は人間も亜人もどちらかが滅びなければならない世界など望みません。私が望むのは、その両者が手を取り合える世界です』
『わからんな……弱者が生き残って何になる？ 弱者は強者の役に立つとでもいうのか？』
『自らの損益だけを考えていては見えないものもある。視野を広げれば、また違った世界が見えてくる。あなたには私が見ている未来は見えていないのでしょう。どうですか？ 私とそんな未来を作ってみませんか？』
『俺が……人間であるお前と手を組むというのか？』
『あなたの知らない世界を、あなたが想像できない未来を……私《わたくし》は見せてあげたいのです……』
『………………………………面白そうだな』
それ以来、バゼルはアルトネールと共に行動している。そして気づいた。いや、思い知らされた。自分が見ていた世界がいかに小さな世界であるかを。
――アルトネール……お前は俺に新しい生きる意味と、理由を与えてくれた。俺はお前にために生き、お前のために死のう……。
沈みゆく太陽を黙って見つめながらバゼルはそう心に誓った。
|
|---|
感想はこちらにお願いします→雑談掲示板